ボランティアについて

東日本大震災

~ボランティア活動3年の軌跡~

被災地、その時と今

私たち「なかのグループ」ができること。
2011年3月11日に発生した東日本大震災により、甚大な被害を受けた東北3県(福島・宮城・岩手)へ赴き、鍼灸マッサージボランティア活動を実施してまいりました。
2011年5月から避難場をまわり仮設住宅へと活動が移り現在は、被災地域の半島で小さな漁村などで地域の復興へ尽力されている方々へボランティアとして赴いています。
災害支援(1年目)→復興支援(2年目)→地域支援(3年目)→現在進行中(4年目)

簡単に詳細を記します。

岩手県

釜石市の在宅避難(高台で家屋の被害のないところです)されている方の所、その後、小川地区仮設住宅、平田地区仮設住宅、鵜住居地区仮設住宅、宮古市内仮設住宅、田老地区仮設住宅、陸前高田の仮設住宅、大船渡市越喜来集落へ赴きました。

宮城県

石巻市避難所、女川は避難所から仮設住宅へ程赴きました。

福島県

南相馬市避難場、会津若松市公民館、郡山市仮設住宅、いわき市仮設住宅、福島市仮設住宅へ程赴きました。

「復興とは、人々が健康に暮らし生活を営むことであり、人間の連鎖が必要と感じます。人に助けられた人間が別の人間を助けることで描かれる『無限の樹形図』」

ボランティアをなぜするか。

「そこに困っている人、苦しんでいる人に手を差し伸べる」ただ、それだけです。それは、自分のためです。今までも今でも周りの人々、関わらせていただいた方々により今の自分があるからです。1人では、何もできません。
情けは人の・・・
ばど、自分が自分であるためには、少なからず人の助けが必要です。今まで受けてきた恩恵を返せる時期に来ただけでしょうか。
もちろん、人のために何かしたい。喜んでもらいたい。自分探し・・・ボランティアをする理由は色々あっていいと思います。

岩手県では、岩手県大船渡市内から車で10~15分位かかる半島の小さな集落でボランティア活動しています。 震災で港は全壊、仮設で生活している方、在宅被災者の方、被害がなかった方々の集落です。震災前から僻地地区で医療過疎地です。町の福祉施設にある診療所(内科)のみがあるだけで整形外科も他の科もない地域です。病院へは車で30分~40分かかり、交通機関は幹線道路までは歩いていけません。ローカル線が復旧しましたが2時間に1本しかなく、そこか大きな町まで時間がかかります。路線バスは幹線道路を走っていますが、1日数本程度です。高齢者がとても多い地域(限界集落)で、皆さん、肩の痛みや腰の痛みなどは何年も我慢していると言われ、言葉がありませんでした。その痛みは、病院で診てもらいましたか?聞くと何年か前に1度診てもらったけどそれからは我慢しているとのことです。とにかく、楽にして欲しいという方が多かったです。
東北の人々は我慢強いと言われる報道を聞いていましたが、そんなことはありませんでした。我慢強いのではなく我慢しなくてはならないのです。
鍼灸マッサージが、復興のお役に立てるとしたら住民の皆さんの健康に寄与し、からだの不具合をよくして元気に稼げ(働く)日々の生活を送ることができるようにすることでしょうか。復興には何より物より人です。住民の皆さんが元気で暮らせなければ復興へ向かえません。なぜ、4年目に入りボランティアを続けていくかですが、そこにからだの不具合により元気がでなく、頑張れない人々がいるからです。目の前に苦しんでいる人がいたら手を差し述べる。ただそれだけです。人々が健康に暮らし生活を営むには人間の連鎖が必要です。復興には永遠の樹形図が必要と考えます。永遠の樹形図(人に助けられた人が別の人を助ける)鍼灸マッサージ施術で元気になった人が、元気に海で稼げて(働いて)その恩恵を受け人が、それをまた誰かに伝えて行くことに繋がれば素敵と思います。

課 題

東北へ行ったことのない人々に東北へ行ってもらう事です。自分でできることとしてボランティアへ行く地で食事をしたり、お土産を買ったりします。東北の物産を知ってもらうためです。お土産をもらった人が、これは「美味しい」こんなに美味しい物があるなら一度東北に行ってみようと、思ってくれることがあるかもしれないからです。
人々がどんな形でも東北に足を運んでくれるようなボランティア活動を展開していきたいと思います。

ネック

これだけメディアが発達しているのに現地の情報(ニーズ)がつかめないことです。現在、大船渡では現地社協の方が住民方のサポートをしてくれています。それにより、必要なニーズに応えられるようになりました。しかし、仮設住宅に集会所や地域の公民館で活動する中で足を運んでくれる方々はいいのですが、でてきてくれない(でられない)人々が心配です。その方たちの健康に関われたらと思いますが、どうしたら掘り起こしていくことができるかです。

希 望

仮設住宅の方でも在宅避難(借り上げ住宅)の方に広く、鍼灸マッサージとはこういうものですと知ってもらい、気軽にかかれるようなにできたらと思います。
大変難しいことですが、ボランティアへ赴く地に、少なからず(被災を免れた治療院)鍼灸院やマッサージ院などがあります。ボランティアを続けていく中で、現地の治療院の先生方へボランティアで施術をかかられた方々を繋いでいけるようにしていけたらと思います。

「また来てねから今度いつ来るのに変わる時」

震災後から現地に入り活動を続けるなかで、施術を受けて楽になりました。遠くから来てくれてありがとうございます。また、来てくださいね。と何度もお礼の言葉をいただきました。しかし、それは、日本人の奥ゆかしさ、人への思いやりの言葉でした。活動2年目に入り仮設での生活も落ち着かれ世間でも復興への期待も高まってくる中で、人々の本音が垣間見ることがありました。ある時、施術を終えられた方がまた来てくださいね。それで今度いつ来るの?と言われました。一瞬言葉に詰まりましたが、次回、必ず来ますと告げました。その出来事があったから今まで活動を続けてこれたのでしょうか。そのことがなければ、活動も終了していたかと思います。

震災から半年ぐらいまでは、避難所での生活によるからだの具合として、異常なほど高い血圧、不眠、食欲不振からの体重減少、食生活の激変による便秘などの消化器症状、津波から逃げてから起きたからだの痛み。震災直後、避難所でお母さんの施術に一緒に来ていた子供たちも、お母さんと同じ鍼灸マッサージをしたいと言っていた子供数人を診ることがありました。子供といえ異常なまでのからだの緊張、堅さに加え、落ち着きのなさ、凶暴性、赤ちゃん返りなど心に大きな傷があることを感じました。

2年目になり、仮設住宅での生活にも慣れてきた頃のからだの具合として、少しずつ医療機関へかかれるようになり血圧の高さ、不眠、体重減少などは解消されているようでしたが、仮設住宅での生活では、狭い部屋での生活によりからだの痛み(腰痛、肩こり、頭痛、神経痛)を強く訴える方が多くなったように感じます。また、精神的重圧感(隣に声が聞こえてしまう環境でプライバシーが保護できない)も強く、心身的症状も多くなっていたようでした。仮設住宅は、精神衛生上とてもよくない環境でしょうか。

3年目になり、生活と仕事が本格化してきた頃のからだの具合として、今まで、畑や港で仕事をしていた高齢者などは、津波の被害により仮設住宅で何もしないで過ごすことが少なくなく、血圧が安定しない、体重が増えてコレステロール、高脂血症、糖尿病発症のリスクが高まっているようです。また、津波のフラッシュバックによる精神不安定や津波後から発症したからだの痛みが続いているなどを訴える人が少なくありませんでした。
仕事に出られる人は、仕事による筋肉疲労や腰痛、肩の痛み、膝の痛みなど普段の診療で治療する症状と変わりないようでした。

風評被害について

宮城県女川町出島へ行ったときに施術を受けられた方からの話です。漁師を再開し取れた魚を買ってくれるところがないとのことでした。その方が一言、絆はないよ「絆なんてないよ」だって絆は糸偏に半分って書くだろ。だから絆は半分しか繋がってないんだよって・・・返事ができませんでした。

活動場所について

少なくとも活動前に地域の事、地形の事、町の事、被害の状況などわかる範囲で調べ、また、活動終了後にその町の状況を活動報告にまとめたり、そのため活動記録に少なからず写真を撮ります。そんなことでも、住民の方の中には写真を撮ることを快く思わないかたもあるかもしれません。私たちは、活動した町の状況を少しでも知ることで住民の方々とコミュニケーションがとれたらとの思いからです。まだまだ、手の届かないところも多いかと思います。地域的に交通の便の問題や行くのに時間がかかる場所や今までボランティアなど行かなかった所など。いろいろな所へボランティアで赴いていて格差を感じます。
今までも比較的交通の便が良く行きやすい所へはボランティアは行っているが、不便なところには行ってないように感じます。私は、例え1人の希望者でもいらっしゃるなら赴きたいと思っています。私の活動でも良いこと、良くないこと、いろいろなことがあるかと思います。出来ないこと良くなかったことは真摯に受け止めていきたいと思います。私ごとですが、今はボランティアで活動させていただいていますが、いつかは誰かに助けられることもあるかもしれません。そんな時、「お互い様です」となる時もあるかと思いますので、現在は、自分のできる限りのことをさせていただいている限りです。

平成26年の活動(4年目)

平成26年8月

東北復興地へ「ボディーケア(はり・きゅう・マッサージ)ボランティア」に赴いて


~東北復興地の光と影~

 311から4度目の夏(お盆期間)に岩手県へ「ボディーケアボランティア」へ赴きました。お天気は、あいにく小雨模様で最高気温22度(東京の最高気温は31度)と肌寒い日でした。311後から岩手県へは、24度(今回の活動場所は6度目)ボランティアへ赴き、訪れるごとに復興していく様子が感じられました。

 1日目の活動は、市内から北へ車で19分ほどの所にある仮設住宅(沿岸地域の幹線道路から山間に入る)でおこないました。みなさん、お盆の片付けで忙しいところ沢山の方々(今回は殿方が多かったです)がケアを受けに来られました。みなさんのひと時の安らぎになってくれたなら幸いでした。町の復興計画では、これから、国道を整備(嵩上)するため仮設道路の建設をするということですがまだ、工事が始まっていませんでした。道路が整備されてから全体の嵩上を行っていくとのお話でした。町の再建には早くて3年から5年の時間が必要だそうです。この仮設に住まわれている方は、少なくともあと3年はいなくてはならないようです。ボディーケアを受けに来られる方も高齢の方も多くいらっしゃいました。仮設の生活が6年も7年の続くなんて想像すらできません。それが現実です。現地に赴かなければわからないことでした。近くに復興住宅が来年の9月に数棟できるそうですが、ここの仮設住宅を出られ自力再建できる方は少ないとのことでした。2016年までに市内全体の仮設住宅(仮設住宅の空きが3割ほどになり)、を3分の1へ集約する計画になっているそうです。

 2日目の活動は、市内から南へ車で13分ほどの所にある仮設住宅(市内では1番大きな)でおこないました。ここでもケアを受けられる方々は高齢の方が多かったです。ここは、沿岸線から山間の中腹に位置しています。ここには、2階立ての仮設商店街がありました。ボランティアで赴いたとき訪れたこともありました。住民の方のお話から仮設商店街は現在営業していないとのことです。だからちょっとした買い物(お豆腐1つ買に行けない)できないから「いつもあり合わせで済ませてるんだよ」と言われてました・・・・車を持っている方は町へ買い物に行けますが、持っていない方は路線バスか徒歩で行しかありませんが帰りは坂道です。車で登って来てもかなり急ですから歩いて行くことは、ほぼ無理と感じます。

市内には、大手企業のショッピングセンター(大規模商業施設)がオープン(今年3月)していました(活動終了後にショッピングセンターへ行ってみました)。そのために、仮設商店街が立ち行かなくなったかはわかりません。何処でも聞くことですが、町の中心地にショッピングセンターなどができると、地元商店街の活性がなくなる話はよく耳にすることです。世間では、東北復興への関心も薄れてきているように感じます。ニュースでは、東北の復興が進み、復興住宅の建設も進んでいるように伝えられているように感じますが、今回の活動で少なくとも現実との温度差を今まで以上に感じました。

これからも、ケアできるところがあれば何処へでも赴き、仮設住宅がなくなるまで東北の皆様へできることを続ける次第です。

平成26年11月

東北支援活動

11月2日~3日、岩手県沿岸地域へ「からだケアで健康を支援」ボランティアへ赴きました。秋の連休(文化の日)で、ツール・ド・三陸のイベントや産業まつり(地元の海産物や野菜のほか特産のエゾイシカゲガイ、旬を迎えたリンゴやサケ)が行なわれ町は賑わいをみせていました。かつての市街地から東南へ車で10分ほどの(半島近くの高台)小規模仮設住宅へ赴きました。小規模仮設とはいえ集会場が設置できると戸数と思われましたがここにはありませんでした。空き部屋(2DKと言っても4畳半二間と3畳程の台所です)を談話室として使われ、当日の午前中は1部屋をお茶っ子とアロマジェル作りが行われていました。隣の1部屋をお借りして「からだケアで健康を支援」(はり・きゅう・マッサージ施術ボランティア)をさせていただきました。ここへは13度目の訪問になります。仮設住宅は、数十カ所に点在していて仮設の規模も様々で集会場があるところでは、イベントなどは開催しやすいようですが、談話室としているところは行なえるイベントが限られてしまうようでした。また、路線バスは1日5~6便で自家用車が主な移動手段でした。

 自立とは何か?

自立には経済面と生活面と精神面がある。「自由にできるお金があり、自分ひとりで日常の家事をこなせ、誰かに頼らず生きている、ということだ」とある社会学者が述べています。しかし、これら3つを網羅している人がいるのだろうか?現実には、家事はできないが仕事はできる、生活力はあるが相手に依存するなど、「人は1人では生きられない」ものではないでしょうか。このことは、経済的―生活的―精神的な基盤がある程度成り立っていての事ではないでしょうか。東北(復興地)の地では、多くを失ってしまった環境(経済的―生活的―精神的)において自立とは何か?と、同じように考えることはそもそも土台が違うことだと思います。

住民の方々の「からだケア」をさせていただき感じたことは、みなさん1人1人事情も感情も置かれている立場も違います。何より、親しんだ家も愛おしい人も失い、心に大きな痛みを持ち、押し込められた生活環境でからだは疲弊し、痛みや苦しみを我慢しなから生活していく過酷さは計り知れません。何事も健康で元気でなければ始まりません。生きる力=健康・体力(元気に生きるための力)です。心身共に病んでいては元気になれません。心の痛み(ストレス)は、からだを蝕みます。からだケアとして、「マッサージ」でリラックスして明日への活力にすることも、からだの痛みや苦しみを「はり・きゅう」施術でよくしたりすることで明日を元気で健康に過ごしていただけたらと思うだけです。

私たちができることは、少しでも皆様の健康へ喜与し明日への力になれるようにからだをケアさせていただくだけです。

ボランティアに興味がある方へ

現在、直接ボランティアメンバーの募集は行っていませんが、関連団体をご紹介させていただく等のご相談に乗ることは可能です。

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